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8分19秒

ESSAY

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 写真とは光の偶然のことである。

 写真をやっていると本当に稀に”光"そのものを捉えたと思える瞬間がある。

 状況は様々だ。見た目そのまま暗闇に射す一条の光かもしれないし、何かに反射する光かもしれない。そんな具体的なことではなくてもっと感覚的なことかもしれないし、あるいはただ感情的な錯覚かもしれない。

 結果は後からやってくる。フィルムで確信し、プリントして初めて確認することができる。そんな一枚は意味的写真、目的的写真、対象的写真をやらない僕にとって何ものにも代え難い。

 小説家なんかでいえば、いい物語が創れたとかではなくある一節、文章そのものを書きえた、という感覚に近いもののようかもしれない。詩人でいえば言葉そのものを掴んだという表現になるかもしれない。ミュージシャンでいえばライブ中のギターの激して震える一本の弦の静寂に似た独音、心地よい声帯の振動、あるいは透き通り抜けるような一発のスネアを思い浮かべればいい。

 それはほとんど劇薬である。一発でノック・アウト、甘美な快楽だ。そしてまた中毒性が強い。それを知っていればやっていける、それがまたあるかもしれないと思えれば何とかやっていける、そんな風である。太陽はほとんどドラッグだ。サンライト・ジャンキーだ。知人にひとりくらいはカメラマンがいるだろうから聞いてみるといい。「ジャンキーか?」と。間違いなくイエスと答えるだろう。あれ?これではやばいやつの方で答えてしまっているかもしれない。

 

 いつどこにどのように現れるかわからない。誰も知らない。

 夏なのか、冬なのか、それとも、春や秋か。室内に差し込む朝のそれか、暗渠に浮かぶコンクリートのひび割れか、アパートとブロック塀の間隙を縫う陽の光かもしれない。シダ植物の葉叢から溢れ落ちる光、太陽を乱反射する東京湾の濁波、磨き上げられたスーパーカーのボンネットかもしれない。パルコのショーウィンドウの中にあるかもしれない。すれ違う女の子の耳で揺れるイミテーションのピアスの輝きかもしれないし、監視カメラの鈍く光るレンズかもしれない。バイクのサイドミラー、メタリックな塗料のタギングやグラフィティ、ドブ川に浮かぶファンタグレープの空き缶かもしれない。首筋に流れ落ちる大粒の汗かもしれないし、カメラを見返す瞳の中かもしれない。溶け出しそうな程夏陽に焼けるアスファルトか、寒さに身を屈めるコートの襟の飾りボタン、捨てられたブラウン菅テレビかもしれない。あまりに暑いから昼過ぎから飲み出した陽光の当たるテーブルに置かれたステンレスの灰皿か、ビールジョッキを伝う水滴かもしれない。競馬場を駆けるG1馬の靡く栗毛のたてがみかもしれないし、腰まで伸びた髪をかきあげる女の指のシルバーリングかもしれない。葬式で婦人の首にぶらさがる真珠のネックレスかもしれないし、頬を濡らすひとすじの涙かもしれない。陽炎の揺れる雑踏、西日射す入道雲、ビルの間の張り巡らされた電線に網目状に区切られた空、トラックに蹴散らされて泥土となった環七の残雪、強烈な冬の透き通るような逆光と路地を抜ける空っ風かもしれない。寿司屋の生け簀の中で身を翻すアジ、ろう作りのナポリタンの鮮やかな食品サンプル、大阪へと向かう新幹線の流線型の車体、風を目一杯孕んでオフィス街を舞うコンビニのレジ袋、空き地に投げ捨てられたオールドパーのボトル、繁華街の油の浮く水たまり、昼間から電飾の光る風俗店の看板、工事現場のブルーシート、虹色の光彩を放つ大振りのサングラス、テラテラとしたフルフェイスのヘルメット、パトカーの赤色灯、あるいは道路にベッタリと張り付いた自分の影…。

 

 太陽の光は平等に降り注ぐ。可能性はそこら中に転がっている。経験も才能も関係ない、光景はただカメラを持つ者の前に突然に訪れる。

 目玉はひとつあればいい。どうせレンズはひとつだし、片方は閉じるのだ。僕は義眼のカメラマンをひとり知っている。

 経験がある、予測は立てられる。あのバーには女の子がひとりはいるだろう、とかそんな予感とか予想は立つ。だけど女神かどうか(魔女かもしれない)はわからない。いやもっとひどいかもしれない。それこそあっちの原っぱに鹿とかいそう、みたいな原始時代の狩猟並み。いずれにしてもその程度のものであまりあてにならない。やらせはなしなのだ。

 焦げる。待ち焦がれる。写真家とは快楽を得るためにずる賢くカメラを持ち続け、その瞬間を待ち続ける者のことである。他人がそれを捉えた時、嫉妬するものである。その一点において誰よりも強欲で傲慢で乱暴者で独裁者でありたいと願うもののことである。

 焦がれる待ち時間をやり過ごすため酒をのむ。待ちくたびれてのみすぎる。二日酔いをしてなおカメラを掴む。

 太陽の光が地球に届くまで8分19秒。写真家とは永遠のようなその8分19秒の中にいてしたたかに生きるゴンゾウ、のことである。

 

  自分の人生は自分のモノだ。

  くだらない声に踊らされるな。

  目を凝らせ。

  必ず、抜け道がある。

  光はある。

  微かな光かもしれない。

  でも、闇よりましだ。

  目を凝らせ。

  神がチャンスをくれる時もある。

  逃すな。

  掴みとれ。

  死は避けられない。

  でも、死んだような人生は変えられる。

  光を探せ。

  まだそこに光があるはずだ。

  自分の人生は自分のモノだ。

  それを片時も忘れるな。

  自分にしかできないことを。

  神はそれを見たがっている。

 

  your life is your life

  don’t let it be clubbed into dank submission.

  be on the watch.

  there are ways out.

  there is a light somewhere.

  it may not be much light but

  it beats the darkness.

  be on the watch.

  the gods will offer you chances.

  know them.

  take them.

  you can’t beat death but

  you can beat death in life, sometimes.

  and the more often you learn to do it,

  the more light there will be.

  your life is your life.

  know it while you have it.

  you are marvelous

  the gods wait to delight in you.

 

※The Laughing Heart / チャールズ・ブコウスキー

2011年リーバイスCFで使用された訳を引用

 

 

 中平卓馬が死んだ。写真の人だった。

 中平さんの撮る新しい写真がもうみれないとなると、僕は世界を知るすべをひとつ失うことになる。

 

2015.9.5記