汚れちまった

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  中原中也の有名な詩の一節を想った。

 

  汚れちまった悲しみに

  今日も小雪の降りかかる

 

 正直にいえばひとり恥ずかしげもなく、口に出してみもし、それから呑んで泥酔、少し泣いた。

 それはなぜかといえば、今年初めての雪が東京に降ったからで、それから数日、コンクリート工場の前の路傍に僅かに溶け残った雪を見、さらにいえばそれはかなりいい感じに泥に塗れた残雪だったから、というのがひとつで、常人、本当であれば中空を舞い落ちる雪を見て、というのが正しいのだろうが、僕はこの詩の中の「汚れちまった」という言葉と「雪」という言葉がどうにも抗い難く直接連結してしまっていて、決まって土や排気ガスに染まった殆ど泥土となった残雪を見るとしようもなくその詩句を思い出すのである。

 だがそれだけが理由でというのではない。

 本当のところ、たまたま見たアニメ、そこでもやはり雪が降っていて、中学生のキッズ達が音楽に恋愛に友情に夢にと全力、かつ難苦や困難、悲劇に翻弄されながらもバイオリンを弾いたりピアノを弾いたり、叫んだり、喧嘩したり、走ったり泣いたりしこれを打破、少しづつ成長してゆくという青春群像劇、最初は「定番ですね、捻りはないのかコラ!」などと悪態を付きつつ観ておったが、気が付いたら前のめり、いい歳をした大人であるにも関わらず僕はガンガンに心がバイブレーション、結果、落涙、つまり心のモードがセンチメンタルになって緩々、それが昨夜。

 僕は根本的に雪が好きである。といってみたものの、雪深い故郷に育ち、雪を見ると望郷、というのでもないし、逆に沖縄などに生まれ「雪見たことないさ〜」というのでなし、それじゃウィンタースポーツが趣味で週末毎にレジャー化された山中に分け入りゲレンデ、足に板を貼り斜面をグングンに滑走したいというのでもなく、ただ日常の風景が殊更僕の住む東京がいつものごちゃ混ぜのそれが一様に真っ白になるのを眺めるのが好き、愉快、でも寒さに激烈に弱いので、暖房でぽかぽかの屋内で、暖炉なんかもあり室温上昇、何となればTシャツに短パンなどの薄着で紅茶でも飲み、ときにクッキーなどを齧り齧りつつ降り積もる雪を優雅に眺めておりたい、さらに夜などはキャビアを肴にシャンペン、ワインを飲み、お家付きのコックの拵えるフォアグラや鹿肉のコース料理を食べながら高笑いする、という貴族のような暮らしを望んでみるが、まったく叶わぬ、算段すら立たぬので、とりあえずビールを呑みビールを呑んでから、ビールを呑んだ。

 後、焼酎を緑茶で割りつつ呑んでいて、腹が減ったのでタマゴサンドを買いに出、転んじまった帰り路に。

 今日も小雪の降りかかる。

 

2016.1.27記