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ぽんどによろしく

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 仕事と私用が合併した感じで、ここ一年程、京都に月一回行っているがしかし、寺などに乗り込みこうべを垂れてみたり、仏像に手を合わせてガンガン願ってみたりという事を一度もした事がないのは何故かというと、主義主張があり断固拒否みたいな事ではなく、用事や仕事が終わるとただ誘われ呼ばれるがまま先斗町に参り飲食、酔っ払ってみたり、勢い鴨川で溺れかかったりしている事に非常に忙しく、神社仏閣に詣でるみたいな方向に時間が充てられないだけであり、はっきり言うておくと俺は親鸞好きだし、歎異抄などは何度も読み返してある、また都、京の歴史、文化や精神、ひいては科学、人智を越えた神秘、スピリチュアルな諸々を否定しないし、陰陽師の漫画読破したし、むしろ妖怪好き、河童などは普通にいると信じて止まぬキョンシー世代、実際、先日も自宅で寝てあったら激烈に金縛られたばかりである。

 俺は、夜半、二時、寝ていた。晩は多少、呑んでいたが、はっきり言って余裕、適量、睡眠の中途で要らぬ小用に立たぬレベル、明朝までグッドナイトという感じのベストコンディションであった。つまり幸福に通常睡眠していた。そんな夜、俺は縛された。頻繁にある事では無いけど、異常なほど無い事でもない。金縛といったって、しばらくの間身動きがとれぬだけで、知っていれば特に害はない、ただ今回は多少違った。

 狸であった。半目を開け見てみると、腹の上、座っていた。少し前からそこだけ妙にぬくかったのはどうもそのせいらしかった。

 さて注視観察して分かったのは眼を瞑りつつ何かを懸命に念じている様子、どうやらそれはお経を唱えているということ、かつ俺を金縛から解放すべくというのであるのが感ぜられたのは何故かというと、眉間にシワを寄せる真剣な面差し、実直な経の発声などの行為の確かな善的熱情がその姿に表れていたからだが、しかし単純に、であれば首尾よく万事解決へと信頼、と身を任せておけないのは、そのビジュアル面、存在のあり様であった。仰向けの俺の腹上、座した狸は現実にいる生物としてのそれではなく、アニメ様、童謡、日本昔的タッチで存在しており、全身全霊に事を行なっていてもなおコミカル、頭に葉っぱを乗せてある様な、此奴で大丈夫かな~、とその真剣本気を疑えるほどに、仮にいうと、他貫田ぽんど、みたいな感じの、少しゆるい容姿であったからである。がしかし、他貫田ぽんどはその様な俺の思案、不安の視線一顧だにせず、一心不乱、背を屈めアライグマの如くコチャコチャと胸前、諸手を擦り合わせ、俺を助くべくなお懸命に念じ続けている。

 身動きのとれぬ状態である以上、いずれにしても任せるしかないのだが、それ以上に気になるのは、ぽんどが何故俺を救援してくれるのか、という事である。

 記憶を巡ってみても、ぽんどはおろか狸と交歓したことさえまるで無く、強いて言えば数年前、渋谷円山町で、一瞬目が合い行き違ったくらいで他になく、かちかち山、分福茶釜などの絵本、あるいは緑のたぬきくらいの関係、思い出しかない。が、ぽんどは合点のいく理由の見つからぬままの宙ぶらんの俺には頓着せず、なお遮二無二、経を唱え念じ続けているのがへその上、雰囲気で分かる、俺は幼少の記憶を辿るべく更に深く内を想ったが、奇妙にも心地よく流れ続けるぽんどの調子、読経の旋律に揺れ、いつの間にか沈眠、目が覚めた時には、窓から陽が差していた。

 秋の爽やかな朝だった。身体の自由を取り戻していた。

 ぽんどの姿は無かった。寝返りを打って、俺はまた少し眠った。