ストリートの使者

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 まずあの漆黒のボディが格好いい。白いところなどカケラもない。清々しいくらい真っ黒で街区を翼を広げて滑空する姿は様になっている。粋だ。サギとか鶴ではまったくだめ。都会を背景に求めるなら、鷹や鷲なんかでも黒い衣を纏って飛翔する奴にはやはり敵わないだろう。

 突然だがカラスのことである。そして僕はカラスが好きなのである。

 よくよくみてみれば可愛い顔をしている。チュンチュンこそ言わぬが、何せ意外にもスズメ目、スズメの仲間なのだ。

 それから人間に媚びるようなことなく飄々としているのもいい。付かず離れず、その距離感が抜群。

 時々テレビでやることがあるが、くるみを道路に置いて自動車にひかせて割ってみたり、ちょっと調べてみると霊長類に匹敵するほどの問題解決能力や観察力を持ち合わせているらしい。とても賢いのだ。

 自分に危害を加えた人間を記憶し、「あいつちょっと嫌な事するぜ」みたいに仲間に伝えたりもするらしい。友達思いなのだ。

 さらに驚くべきなのは生命活動に付随することや種の保存にまったく関係ない行動もかなりするということ。

 そのひとつは遊びである。水浴びをしたり、電線に逆さにぶら下がってみたり、ボールをフェンスにぶつけてみたり、滑り台ですべってみたりする。中には雪の斜面を仰向けになって滑ってみせる強者までいるらしい。さらにはシカの耳のなかにシカのフンを詰めてみたりなんていたずらもするんだそうだ。ジョークのセンス(シカからするとすごく嫌だ)が半端ではない。ジャイアン真っ青容赦がない。

 巣作りにもそのセンスは存分に発揮される。定番の木の枝や皮に加え、プラスチック、金属ハンガー、ビニールテープなど異素材をミックスするほどの建築的才能をさらけ出してみせる。さらにガラスや金属などの光り物や青色のものを収集したりもするらしい。ほとんど趣味や好みの域である。そういえばコムデギャルソンの広告にも青い洗濯バサミばっかり集めているそんな鳥が出ていた。

 一度やってみたいと考えていることがある。

 例えばカラスが近くに住んでいそうな場所に金属系のものや、色のついた棒状のもの、色鉛筆とかストローの類、それからビニールコードやカラフルな毛糸の紐の類なんかもいい、そんな雑多なものをたくさん置いておく。巣作りの季節がやってきたら勝手に持って行って素晴らしい構造物を作ってくれるだろう。それはきっとカラフルで面白いに違いない。木の上や電車や橋の高架、ビルの屋上の広告看板の鉄骨なんかにそれがある事を想像すると、とても楽しい。

 

 さて、ここからは個人的見解でさらに話を進めていく。さっきまで書いていたのは姿形や生態とかの話で事の本質ではない。一旦話が逸れるが、僕がカラスを気に入っている理由はここからだ。

 ほんの数年前までは、タバコのポイ捨てなんか当たり前だった。となると当然空き缶や紙くずやガムといったものをポイっとする行為それ自体も罪悪感や抵抗感が薄れ、ゴロゴロとまではいかないまでも結構転がることになる。そのようにして都市の路上はこれまでは程よくやさぐれていたのである。風が吹けば空き缶が転がる。いわばその状態こそがまっとうな路上の常態なのである。

 それが罰金を伴うポイ捨て禁止条例やタバコの価格上昇にともなって喫煙者はその数を減らし、いよいよ路上は綺麗になってしまった。そこらに駐車するバイクや車、自転車、それからピンクチラシの張り紙、迫り出した看板、公園のレゲエのおじさん、キャッチやポン引きにしてもそうだ。軒並みその姿を消しつつある。路上の風景を構成する要素がすべて条例や規制によって失われつつある。

 都市の風景なんて本来は様々な人々の思惑と身勝手さ、アクシデント、カオス理論、バタフライエフェクト、ゴッチャゴチャ新旧美汚が渾然一体となって現れるグルーブ、予想の通りに結果の出ないモザイク様のはずなのだ。僕は全てを無茶苦茶にしてしまえ、なんてデストロイヤーではないし、昔は良かったなんていうだけの懐古主義者でもない。ただあらゆる過ぎた不寛容と完璧主義は退屈で窮屈なだけでなにも生まないし拡がりをすら持たない。そこにみる未来はもはやない。

 再開発や防災・防犯・衛生面などの理由をつけて、横丁やバラック呑み屋街といったものは端から潰され、その後にはどれも似たようなコンクリートビルディングが風景を埋める。そうやって出来る小綺麗なだけの個性もへちまもない無味無臭の凹凸のない、のっぺりとした表情のどこにいっても同じような画一的な街の一体なにが面白いのか、僕にはまったくわからない。

 そんな中で現在となってはカラスだけが、路上に路上らしさを与えるきっかけの役割を果たし続けているように僕には見える。飲食店で働く人だとか、ゴミ収集の作業員なんかはさぞや迷惑しているだろうが、そんなことはお構いなし。悪意はない。相変わらずゴミ袋を突つき回し餌を探し光り物を求めてゴミを辺りに撒き散らし、都市に蔓延した不寛容に抵抗し続ける。いわばカラスは路上に正当な秩序を齎す少しマッドなストリートの使者なのだ。

 

 イギリス出身のストリートアーティスト、バンクシーは作品にネズミを多用する。彼の考えるストリートの使者はネズミなのだ。二匹の異なる動物は今日もきっとロンドンや東京といった大都市のそこかしこで同じきらわれ役を演じ続けているだろう。

 時には自らもいよいよ黒く登場し路上の風景の一片となり、レンズを向ける僕に時折”カァー”とまでサービスしてやってくれたりもする。

 僕はそんなカラスが好きなのである。