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オン・ザ・ドーロ。

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 僕はまたベラベラに酔ってしまう。

 そして梅雨も終わりかけのある夜、ゆっくり地面に倒れ込んでいった。

 繁華街を歩いていると、路上で寝ている人を見かけることがある。ダンボールにくるまれたレゲエのおじさんではなく、酔いつぶれてしまった人たちである。入学シーズンや、年末になると結構いるものだ。カバンを抱きかかえたり枕のようにしてみたり、それがまたとても気持ちよさそうなのである。そこそこ酒がのめ、酔い潰れるということが少なかった僕は若い頃そんなひとたちを少し軽蔑し白い眼でみていたように思う。

 だけど、いつごろからだったかはわからないが、おそらく自分も酔い潰れることが多くなって、寝てしまうとまではいかないまでも、電柱に寄りかかって暫く休んでみたり、路上に吐いたり、家に帰るの面倒だな、と思ってみたりとすることもあり、それは徐々に共感と同情の入り混じった不思議な感覚となって意識の深いところに静かに沈殿し堆積していたのかもしれない。酒の量と比例して増えていったそれらの行動と感情、膨らんだある種の仲間意識が加わった結果、いよいよ自己肯定的感情が生まれ、そこに行き着いたのだろう、とうとう憧れの眼差しへと変わったのである。

 また、おそらく僕はそこに「誰にどうみられてもいいではないか、眠いから寝るのだ、何が悪い!」と勝手に声高なそんな堂々としたマッチョな主張を想像し、いそいそと家へと帰る小心者の自分とを比べていたりもしたのだ。もしかしたら中島らも高田渡の酔いどれ伝説を耳にしてからかもしれない。あるいはかの有名なオン・ザ・ロードのディーン・モリアーティ(ニール・キャサディ)やサル・パラダイス(ジャック・ケルアック)のような放浪天使、根無し草の破天荒、世間から遠く離れたそんな暴力的なほどの奔放さに憧れていただけなのかもしれない。いつしか路上で眠ることは僕の中でむくむくと膨れ上がって物語的に形作られた自由の象徴となっていた。

 でも最近わかってきたのだけど、もちろんそんな自由の主張や高尚な考えなど何ひとつなく、単純にどうしようもなくアルコールがまわりまくっているだけなのだ。僕だって当然わかっている。

 

 僕が本格的に(?)酒を呑むようになったのは、20代の半ばの頃だった。打ち合わせで行った下北沢で、話が終わったあと、ついでだからと夏の陽が傾き始めた街を撮影してまわった。初めて撮影する街だった。

 スズナリの前の道路で、配達を急いでいたのだろうバイクがそのカーブを曲がる遠心力で、積荷のビールをふり落とした。その場に居合わせた僕は灼けるアスファルトに広がるビールの泡と飛散してきらきら光る瓶のガラスの欠片をしっかりフィルムに収めてから、片付けの手伝いをした。鼻腔にビールの香りが広がり、しばらく漂い残った。

 それから街を一回りし、またスズナリの前に戻ってきたとき、扉が開けられたままのバーから、顔を出した男がカメラを持つ僕にふいに声をかけてきた。

「写真撮ってくれよ」

僕はなんだか生意気なやつだなとは思ったが、撮ってやった。

「撮ったぞ」と立ち去ろうとする僕にそいつは「一杯のんでけよ」といった。僕はそのとき、財布や携帯などの邪魔な荷物をすべてバイクに放り込んでいて、まったくお金をもっていなかったから「おごりなら付き合うよ」と答えた。

「もちろんだ」とそいつはいった。

 そのようにして僕は呑み始め、結局そのままずるずるとふたりして何軒もはしご酒、へべれけ朝方家へと帰ったのである。

 翌週からは二日と間を空けずにそいつと下北沢で呑むようになった。当然のように朝までであった。ふたりともなにも食べずに酒だけを流し込んでいくタイプであった。映画、小説、写真、音楽、政治、女などについてその時々、思いつくまま、悪態つきつき語り合った。それがつまみのようなものだった。本当に若い頃というのは、そうやって酒が呑めるものだ。振り返ってみれば皆、恥ずかしさとともにそれぞれ覚えがあるだろう。

 時々、いつも決まって最後に寄るバーで皿うどんを食べた。それだけがいわば例外だった。

 長崎出身のおばちゃんが切り盛りしているそのバーは朝までやっていて、薄汚れた酔いどれどもの最後のとまり木、ひっそりとした静かでほっとする店だった。となりでソースをかけて食べている彼もまた長崎の生まれだった。僕は皿うどんのうまさも、ソースをかけることもその店で覚えた。

 僕らは若かったせいもあってとにかくアホみたいにそれが当然とでもいわんばかりに無茶苦茶な呑み方をしていた。となりの客にからむなんて当たり前、女とみれば手当たり次第に声をかけ、なぜかは覚えていないがほとんど全裸で呑んでいたこともあるし、雨のなかでどつきあいの喧嘩もした。消防署のシャッターに立ち小便をしながら消化活動だ、と喚き、ガンガン叩き騒いで怒られ逃げたり、なにが面白かったのか工事現場にある赤い三角パイロンをさらってきて椅子に座らせていたこともあった。

 いまになって思うと、その頃は酒が好きとかではなく、ただただその呑む格好、どこかで見聞きしたものが合わさって作り上げられた架空ののんだくれのダークヒーロー、スタイルを創り出し、その背中を二人して競うように追い続けていたといっていいのかもしれない。

 なんだかどうしようもない三文小説のようになってしまった。この頃の話は書き出すと長くなるのでこの辺にしておく(そいつは一冊だけ映画のノベライズを出版したことのある小説家、作家くずれみたいなやつで、その当時の僕らのことを短編として書いて誌面に発表した)。

 僕はとにかくそのようにして、酔っ払い呑むことを覚えたのだ。それでもどんなに酔おうが、何時頃にどうやっては覚えていなくても、いつもちゃんと家には帰っていた。

 

 つい先日のことだ。

 馴染みのバーを出て歩き出し、きっと近道だと考えてのことだろう、大きな通りから外れ、住宅街のなかを斜めに突っ切っていった。思いのほか酔いのまわっていたらしい僕はコインパーキングでいよいよへたり込み、ぱらぱらと降る雨粒が冷たくて気持ちがいいなと感じて寝転がり、意識を失っていくのをはっきりと認識しながらそのままゆっくり意識を失っていった。それは手に掴んだ細かな砂が指の間をさらさらと流れ落ちていくような感じで心地よい喪失感を伴うものだった。

 どれくらいの時間そのままでいたのかはわからないけど、気づいたときは、雨がかなり降っていて僕はびしょぬれになっていた。とにかくひどく寒く感じられた。帰ろう、とそれだけが強く思われた。

 

 果たして僕はそのようにして突然ストリートデビュー、あっけなく中途半端にひと知れず憧れの路上でねむるひとになった。おそらく観客はいないはずだ。その点においては少し寂しい気もする。繁華街なんかではなく、住宅街の駐車場で真夜中にひとが倒れていたらさすがに声をかけるか、警察に連絡くらいはするだろう。幾ら人と人の繋がりが希薄といわれる東京でもそれくらいのやさしさはあるはずだ。何より事件にでもなったら寝覚めが悪い。

 さて経験してしまえばなんのことはない、二度とごめんだ。もし天気のいい晴れた日で、ネオンまたたくオーディエンスの多い繁華街でなら、機会あればまたひっくり返ってみようか、と考えてもみるが、その発想の時点でなんだか違うし、つまるところ僕は本物のそれにはなれないのだ。憧れは憧れのままのほうがいいし、それはきっと永遠に手のとどかない高嶺の花にしておいたほうがいいのだ。

 

 僕はその日、友人に不意に誘われ、なんとなれば「勝手にしやがれ」というものすごく格好いい名前のバンドのライブにいった帰りだった。ライブが行われたのは下北沢であった。

 

2015.7.29記