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未来の常識

ESSAY

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道端にストローハットが転がっていた。てっぺんのところが破れてぽっかり穴が開いている。穴が空いたから捨てたのだろうか。いや、そんなになるまでには相当時間がかかるはずだ。とすれば長年愛用していたにちがいない。年月から推理すると持ち主は老紳士ということになるから、ぞんざいに扱われることはあるまい。夏の熱にやられて老紳士が倒れる、少し離れたところへ帽子が落ちて転がっていく。誰かの呼んだ救急車に乗せられていく老紳士。存在を奪われた影だけが取り残されてしまったようだ……。なんてドラマチックなことがあったのかもしれない。

 でも確率が高いのはどこかの酔漢が気持ち良く歩いているうちに落として風で飛ばされて、コロコロ転がっているうちに破れたものか。或いは車にでも轢かれてしまったか、そんなところだろう。

 

 ここ数年ハットが流行している。アメリカ映画の中のマフィアやギャングでおなじみのあれである。老若男女、猫も杓子も中折れ帽である。

 今の時期なら中はチヂミのシャツとステテコ、その上に浴衣をきて、帯なんかはズルンズルンの低めにして頭にストローハットをちょこんと被り、りっぱな口髭でも蓄え、くわえタバコでもし、かたわらには柴犬でも連れている姿は僕の憧れである。すごく暑い日には、もうチヂミのシャツとステテコだけで、時折帽子を団扇代わりにしてパタパタやるのも格好いい。そんな風にして屋台の焼き鳥屋で一杯やりたいものである。よく考えてみればその姿はもはやどちらかといえば売る側、テキヤのおっちゃんである。

 そういえば僕の好きなキース・リチャーズトム・ウェイツも常にハットをかぶっているイメージがある。

「人間なんて一皮むけばみんな一緒さ、ガイコツなんだ」

なんて草臥れたハットを斜に被り、キースみたいにそんなセリフでも吐いてみたいが、僕の気分は明治、だんぜん夏目漱石なのである。ただ、漱石といっても帽子姿を写真なんかで見た事はないからきっと漫画や挿絵の類か映画の役者、仲代達也や笠智衆の姿が重なり合ってできた僕のなかのイメージだと思う。

 明治といえば文明開化である。生活の中に一気に外国文化が流入してくるあの時代が食にしても服装にしてもとても面白い。レンガ造の洋館ができたり、電車が走ったり、牛肉やシチューを食わせる洋食屋ができたり、ビールが登場し、ビアホールなんかが出来たりし、スーツやドレスを着てみたり、ネクタイで首を締めてみたり、散切り頭にして袴羽織もいれば洋服もいる。とにかく風景から風俗、生活様式などあらゆるところで和洋折衷花盛り。江戸風情を残した町並みや人々、それからひと昔前の制度や慣習、身分制度はなくなったけど世俗的規律も残っていた時代の境である。みんなそれぞれ苦労もあったろうが、目新しいものがどんどん入ってきて、街中わくわくしたろうと思う。中折れ帽はこの頃から紳士の嗜みとして自然に取り入れられ、定番となり始めたのではなかろうか。

 ドラマや映画なんかを見ていても昭和初期頃まではスーツ姿のサラリーマンは皆かぶっている。スリーピースに中折れ帽だ。だけど、いまでは通勤する群衆の中にスーツ姿に中折れ帽でビシっと決めたサラリーマンなんてのはほとんどみかけることがない。いたらきっと衆目を集めてしまう。「きゃっ、電車にアル・カポネが乗っています」なんてツイッターでつぶやかれてしまったり、定期入れを出そうと胸ポケットに手でも入れようものなら、ピストルが握られているんじゃないかと、周りにスリルとドキドキを振りまいてしまう。

 

 少し前に友人と呑みながらこんなことを話していたのを思い出した。髪型の話である。

 ほんの150年ほど前の事、江戸時代はちょんまげが正式な髪型だったわけだろ。要はさ、つるつるに剃りあげたてっぺんにきゅうりを乗っけて生活していたんだぜ。しかもそれがフォーマルなんだから、とんだオリエンタリズムだ。それはアニメやきゃりーぱみゅぱみゅにみるような現代の日本特有のKAWAII文化が創り上げた独自性と同じくらい外国からみたら衝撃的だったはずだ。まあヨーロッパなんかでも美的感覚が逆方向なだけで同じようなもんか。盛りに盛ったパーマ、くるんくるん巻いたチョココロネヘアーである。バッハやモーツァルトの肖像がそれだ。でもやっぱりちょんまげはパンチというか破壊力が一桁違っている。キューカンバー・オン・ザ・ヘッド。恐怖の国ジパングだぜ。

 結局、そんな社会通俗とか常識なんてもんはわからんぜ、時代や国、地域によっててんでばらばらだ。一貫した基準というものが存在しない。とすれば、そのうちモヒカンやカミナリ剃り込みが営業職のサラリーマンの定番になる日が来るかもしれない。一時期はみんな短髪のツンツンヘアーだったが、いまは若いサラリーマンでもツーブロックの七三分けなのである。このツーブロックの下の部分の刈り込みが上へ上へと領地を拡大していくといずれモヒカンになるわけだ。道筋はついている。つまりもう兆候はあるわけなのである。

 もしそうなったらですよ、普通の短髪なんかで出勤しようものなら、部長や上司にちょっと君なんかいわれて呼び出され、強制するものではないけど、君のそのヘアースタイルは営業職をやる上ではマイナスだよ、せめて眉くらい毎日剃ってきなさい、とかいわれるのだ。当然、就職面接ではずらっと並んだリクルートスーツの上には型で押したようにモヒカンがずらり。政治家なんかは揃って毎日手入れをした綺麗なカミナリ剃り込みなんてことになるのである。

 国会中継なんかでも、画面いっぱい中年男性のカミナリ剃り込みで埋め尽くされる。女性議員も負けてはいない。金髪の刈り上げ頭に真っ赤な口紅を塗ってマイリーサイラス風みたいなのか、一転昔のX JAPANよろしくロングへアーをすべて逆立て、スプレーでパリパリに固める。会見などではもちろんテレビ画面に収まりきらない。頭をさげるたびに、前に並んだ報道各局のマイクをなぎ倒す。若手議員はまだ髪が元気バリバリだから当然モヒカンだ。ということは、アンチである不良少年たちは反転、こぞって爽やかなスポーツ刈りやセンター分けにして学校へ繰り出すのである。全校集会で壇上に立つ校長先生はそんなスポーツ刈りの生徒を尻目に、電撃ネットーワークのリーダー南部さんみたいに両サイドに残った髪をハードジェルでとげとげにした頭で、夏休みだからといってはめをはずしすぎないように、と訓示を垂れていたりするのである。

 今日の常識は明日の非常識なのである。

 

2015.09.01記