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でろん、とげとげ、パッチワーク

ESSAY

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 旧国立競技場は消えて更地になった。あっという間だった。それに比べてゴタゴタとなかなか煮え切らない行程の新国立競技場の計画。
 いったいどんなものが建つのだろうか。東京に住み、割と身近に感じている僕はとても楽しみである。

 あほみたいに膨らんだ建設費が主要な問題となってすべての計画が白紙になったが、どうやらみんなあのデザイン自体も気に入ってはいなかったようだ。仮に多くの人があのデザインを好きであったら、ここまで反対の声が出なかったのではないか、とさえ思う。それだけ奇抜でオリジナリティがあるということでもある。

 僕はあの元総理の例えて(皮肉っぽく)言った”生ガキ”が東京のど真ん中にでろん、となっているのを見てみたかった。そう望むものだ。未来的デザインのシュッとした巨大な生ガキに8万の人が出たり入ったり、フィールドでは全力で走ったり、槍や砲丸をなげてみたり、ストーンズなんかの海外のロックバンドが半裸でくねくねしながら歌ってギターを弾いたり、アイドルがひらひらの服で踊ったり、光る棒を振り回して熱狂する観客がいたりするのはなかなか酔狂だ。ぜひ見てみたかったので残念である。

 今後コンペで決まるのだろうけど、ただ丸いだけの建物よりは生ガキや鳥の巣みたいな方が個人的には好みだ。例えば、とげとげハリネズミ型とか、目玉が天窓になっているようなナウシカ王蟲タイプなんてのもありだ。宇宙人がみたらきっとびっくりする。侵略する気がなくなるだろう。地球防衛に一役買うのだから、コストは少々高くてもいいし、NASAなんかから予算を引っ張れるかもしれない。

 他には競技に支障がなくとりあえず安全性だけ担保した骨格ようのものだけ建てて、そのあとは必要になったら付け足していく。そんなのでもいい。和洋折衷なんでもござれのパッチワーク的バラック風。大きな陸上大会やサッカー、ライブやイベントがあるたびに各々パッチワークするのである。

 当然その周りには自然とおでんやラーメンのチャルメラおじさんなどの屋台が現れ、赤提灯が揺れる。しばらくすると、こじんまりした集落のような呑み屋街や横丁路地が出来て、安い酒ともつ煮や粉ものや揚げ物を出す店が立ち並ぶ。オリンピック丼なんていう食べ物があったり、「幻の生ガキまんあります」なんて張り紙がぶら下がっている。競技場に行った帰りにはそこで一杯引っ掛けていく。あるいは、早めに行って始まる前にちょっと一杯。なんてことが可能になるのだ。近くに神宮球場もあるからスワローズファンは野球の後のやけ酒や勝利の美酒に酔う、なんかでもいい。

 とにかくもう旧国立競技場はぶっ壊してしまったのだ。レガシーとか継承とかいって同じようなものを作るなんてナンセンスだ。昔の別れた女の面影を追っても仕方がない。どうせなら思いきった方がいい。どんなにけったいなものだって長く見ていれば愛着は沸くものだ。

 太陽の塔がいい例だ。製作者は鬼才、岡本太郎そのひとである。

 大阪万博開催の当時は非難、酷評の嵐だったようだ。当てこすりや妬みや嫉みの類も含まれていただろう。それも当たり前だ。

 日頃から画壇に批判的で関係の良好でなかった彼が依頼を引き受けた。(著名な芸術家は反万博なのだからこぞって断っている)作品うんぬんというよりも美術界としてはその万博に協力する行為自体を批判の的として糾弾したかったのだろうが、岡本太郎の提示した太陽の塔のテーマそのものが強烈な反万博だったのだ。思いっきりひっくり返された形となるわけだ。内側からそれをやられたんだから、外野から万博を非難し反対していた画壇側の人間や文化人は勿論おもしろくなかったはずだ。また、大阪万博のテーマ館のシンボルを作ってくれと依頼して、反万博をどーんと打ち立てられたのだから、政府役人もたまったものではなかったろう。つまり蓋を開けてみれば太陽の塔は万博の語る進歩や未来に対して突き立てられた巨大な中指だったのである。パンクである。

 そんなことも理由のひとつだろうか、一時は取り壊して撤去される運命だった(その後、撤去反対運動があり永久保存される事になった)。

 それにデザインにしても顔は二つあるしトンガっていたり、てっぺんの顔からは光線が出るし、呪術めいた雰囲気を感じもする。単純な造形はそれをまた増大させもする。中央の不機嫌そうな顔とかこわいぜ、あれは。僕が小さい子供だったら、夢に出てきて泣く。バルタン星人もびっくり、格好は完全に悪者側のキャラクターだ。

 大人だってあれを初めて見て、いきなり好きと思える人は少なかっただろうと思う。きっと最初から、みんなに好まれていたのではないだろうと僕はやっぱり思うのだ。

 それがいまはどうだろう。

 あんなわけの分からん巨大で珍妙なものだってちゃんと愛されている。愛されすぎるほど愛されている。不思議なものだ。
 あれを愛せて他を愛せぬわけはない。人々と過ぎる時は寛容さと優しさに満ちているのだ。

 そういやあれも宇宙人から地球を守ってくれているに違いない。今から侵略しようとしてるところにあんなの立ってたら、ウーンとなるだろう実際。

 僕の部屋にも友人がくれたソフビ製の小さな太陽の塔が立っている。時々、あのしかめっ面でこっちを眺めている。

 

2015.8.28記