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ギョニソの茫漠

ESSAY

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 世の中にはブームというのがある。服装などはそれが顕著で、例えばついこの間まで、ダボっとしたシルエットのズボンが流行しているのでこれを履くがよろしいと雑誌に載っていたので購入、が一年と経たぬうちに巷ではそれはダサいなどと言われ始め、見回してみれば確かに皆は揃ってシュッとしたり、ピタピタのそれを履きこなして颯爽と街中を闊歩している、がしかしピタピタもまた暫くすると周回遅れとなって最先端の人々は、小玉スイカ2つくらい入るような股下が異様に伸びたズボンで歩き回っておる、がすでにその背後には疾走するピンクのダボダボの姿が—、といった風にファッションの世界は目紛しく回転、流転し続けている。

 しかしこれは何もファッション業界の事だけでなくて、パーソナルな出来事にもやはり似たような感じがあって、それはそのままマイブームなどと云われ、いまぼくが魚肉ソーセージを齧りながら、焼酎を呑んでいるのは左様な事由、数年に一度廻ってくる魚肉ソーセージブームという事なのである。

 さて久しぶりの魚肉ソーセージを手に俺は驚愕した。というのは劇的に変化し進化していたからで、といっても重量が倍、くびれて節が出来て何かセクシー、或いは味や栄養価が抜群に上がり、牛肉の座を奪取、主菜に君臨、というのでなく、ではあの矢鱈派手色のフィルムやピンク色のソーセージが一転、緑色になってキュウリみたいやん、というとそんな事もなく、では一体何かというと、包装の仕方、仕様が更改されてあり、以前に比して抜群に容易に中身が取り出せるようになっていたのである。

 若者は知らぬと思うので書いておくとかつてギョニソの包装は上下の締め具としてドーナツ様の鉄輪を使用カシメてあり、食べようとする者はこの鉄輪を力任せに歯で引っ張って噛み千切ったり、固定させた上でギョニソ本体を限界まで回転させ捻り切ったりせねばならず、しかし業者、メーカー、程度というものを知らぬのかこれが信じられぬほど強固、頑強にして屈強、半裸の古代ギリシャの胸筋くんくんの戦士、みたいな感じで仁王立ちし、主であるギョニソを護っており、ほとんど、かかって来いや~と高らかに宣言してあるかの如くで、丸みを帯びなおフルフルと柔らか、オレンジ色のポップな見た目とは正反対の様相といってよく、ビールを呑みながら気楽に、ちょっとギョニソでもかじったろかしら、などと軽く考えてあると返り討ちにあい、事によっては歯を欠くという事態にもなりかねぬ剣呑な状況、などと言うと、包丁で切ったらいーんじゃなーい、アホ~と罵倒する人がある。

 がはっきり言ってその行為はあまりに無作法、フォーマルさに欠ける、というか過剰、例えばマクドナルドのハンバーガー、これをナイフとフォークを使って、挟まってあるパティだけを取り出し切って食す、かつバンズをフォークの背に乗せて食べるみたいな事をする、くらいにお上品過剰、視線集中、逆に恥ずかしいやんか、穴があったら入りたい、ダイブしたい、でもここは東京、穴ってあんまりないよね、かといって掘るのも面倒だしな~、どっかにいい感じの穴ないかな~、ジメジメした感じのはやだな~、一番いいのは掘り炬燵かなやっぱり、つーか穴ってなんかこう漠然として捕らえどころがないし曖昧なんだよねそもそも、そういえば村上春樹の小説には井戸とかの穴系よく出てくるよね、思考のメタファーかな、みたいな事を茫々と考えて一日を過ごした。