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おきゃん刑事(デカ)

ESSAY

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トイレで便座に座っていた時のことである。

 「おきゃん」という言葉がひょっこり口を突いて出た。僕の意思とは無関係に唐突に発せられたのである。何の事はない、意味も知っているし使い方だってわかる。ただ、一向その必要性が不明なのである。これはどういう脳味噌の働きや目的、衝動で行われたものだろうか。

 思い出される範囲で「おきゃん」について真剣に考えたこともなければ、最近本やテレビでその文字を見た記憶もない。声に出してみたのだって、もしかしたら初めてかもしれないのだ。それだけ僕はその言葉から遠くにいた。ただ、「おきゃん」という言葉の響きや意味するところのニュアンスや感じは好きなのである。

 「御侠」。漢字で書くとイメージがガラリと変わった。急にこわくなった感じがする。年齢がぐんと上がった感じがする。豹変する。

 「おきゃん」だと、あら、かわいらしい、という朗らかなものだが、「御侠」となるとちょっと声を掛けづらい。おてんば娘から急に極妻になってしまう。

 それにしてもなぜそんな言葉が、トイレでウンウン頑張っているその時に発語されたものか、謎のままである。

 きれいさっぱり忘れているが、夢の中ででもおきゃんな娘と遊んだか、友人知人の誰かが使ったのかもしれない。それとも、もうこれは僕個人の問題ではなくて、僕があの時間にあの場所で「おきゃん」と発しなければ宇宙原理みたいなのが崩れてしまって全部ご破算ってことになる可能性があり、それを食いとめるために宇宙的意思みたいのが働いて、信号を発信して僕のDNAの二重螺旋のどこか一点に埋め込まれていた装置が発動して結果トイレで「おきゃん」と言わせたのではなかろうか。

 いずれにしても、もう少し、それこそ本当にくその役に立つ言葉はなかったものか、と大いなる宇宙原理に文句のひとつでもいってやりたい。だが、僕の他にもきっと世界中で、例えば結婚の挨拶に恋人の両親に挨拶にいって畳の敷いてある部屋で正座をして対面していて「娘さんを僕に」とようやく言い出したその真っ只中に「すっぽん」なんて言わされて、いや違うんです、となんとか取り繕おうとしているところへさらに「スポポ、パケラノスシ」なんて訳のわからない言葉を上乗せし、しっちゃかめっちゃかになってしまうなんて人もおるかもしれない。と考えれば僕なんかはまだましな方だ。たかだかトイレで「おきゃん」など鼻で笑われてしまう。

 実をいうと僕は独り言を時々言う。かなり言う。

 最近、隣に新しい家が建った。その三階建の家の二階に張り出しているバルコニーがちょうど僕の家の窓とどんぴしゃで一直線になっている。期せずして僕のプライベート空間は丸見えになってしまった。(設計する時に実地と照らし合わせたりはしないものなんだろうか)

 僕が夕方、窓を開け放して風をいれつつビールを呑んで、テレビをつけてだらんとしている。精神も肉体も弛緩しきっている。画面では芸人が与太話を奮っている。ボケをかましたりすると、僕は「それはないわー」と思わず突っ込んでひっくり返ってみたりする。その瞬間、窓の方を見ると、バルコニーに干してあった洗濯物を取り込む隣人の姿がみえたりするのだ。聞かれたのではないか、という恥ずかしさのあまり顔がポッと赤くなってしまう。

 窓を閉めればいいではないか、という人もあるだろうが、クーラーのないその部屋を閉め切ってしまうと、サウナのような状態になってきっと僕は芸人のボケに笑い転げながら、汗でびしょ濡れになってふやけて、ぬか漬けのキュウリみたいにしなしなになってしまうことになる。

 

 ドラマの映像は独り言を巧みに使うことで成立している。特に2時間ドラマの推理シーンなんかでそれは存分に活用される。

 「犯人はここで被害者ともみ合いになり、とっさに近くにあった花瓶を掴み、振り下ろした。いやまてよ、するとここに溢れた水の跡が残るはずだ。ここではない、割れた花瓶は後から誰かが持ってきてばらまいたに違いない。ん、待てよ。確かあの花瓶は青磁だったな。青磁、せいじ、どっかで見た記憶が……。いやしかし彼女には完璧なアリバイがあったはず。だが、あれは確かに、、、偶然にしては出来すぎている。もう一度徹底的に洗い直してみる価値はありそうだ。もしかすると俺はとんだ勘違いをしていたのかもしれない。犯人は……、!!!」

 なんてセリフを刑事や探偵やおばさん家政婦が誰もおらない殺害現場でつぶやく、という演技でしかし滑舌よくひとりべらべらまくし立てたりするのはよくあるシーンである。頭のなかで組み立てて展開するはずの考えや論理が全部口から出てしまっている。

 あれは現実生活ではありえないが、ドラマの進行手法としては定番だ。状況分析や推理、思考の流れみたいなものはきっと内なる声として語り形式で吹き込むと、むしろリアリティが感じられなくなってしまうだけで、いよいよトレンチコートを着た中年のおっさんが部屋の中を難しい顔をしたり、はっとしたりしながらウロウロしている、という何ともシュールな映像が出来上がってしまうのだろう。

 現実では決してありえない極端な独り語りであってもまったく違和感なく見れているのだから、きっとその役者の演技、それからカメラワークや演出、編集が秀逸なのだろう。大体が『駅弁刑事』や『ラーメン刑事』それに『釣り刑事』という設定が成立するんだから、基本的には何でもありなのである。その他『おばはん刑事!』、『スチュワーデス刑事』、『サラリーマン刑事』などもある。『人生相談デカ』、『年の差カップル刑事』このあたりになるともうどうでもいい、勝手にやってくれ。

 とはいってみたものの気になって仕方がない。袖を引く。ぐいぐい引っ張る。観たい。ものすごく観たい。鷲掴みである。

 僕は嫉妬する。だから、僕の書くエッセイもそれくらいの思い切ったストレンジなタイトルにしたくなったので、無理やり刑事(デカ)をつけたのである。内容はともかくタイトルだけは憧れの2時間ドラマのようになりました。