渋谷

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新宿三丁目の駅を降りて地上に上がる。とりあえず明治通りを渋谷に向かって歩き出す。ポケットにはフィルムがたくさん突っ込んである。しばらく行くと高島屋の向こうに代々木駅がある。そこで僕は道路を渡り、桜の樹のある細い路地を抜けて駅の方へと向かう。高架をくぐってゴーゴーカレーを通り過ぎて反対側へと出る。駅前には老朽化したなんだか貫禄のある雑居ビルがどかっと座っている。エンジェルビルだ。正しくは代々木会館という。ここの屋上、ペントハウスに修と亨が住んでいたのである。傷だらけの天使。昔のドラマの話だ。ギターを弾いたり、風呂にはいったり、喧嘩したり諸々ここで破天荒していたんである。とにかくビルはオンボロで、いまにもぶっ倒れそうで見ていてはらはらする。

 しばらく眺めてひとしきりはらはらを楽しんだ後、明治通りに戻り再び渋谷へと歩き出す。北参道の交差点の橋脚にはでっかいピーポ君がいる。手のひらにステッカー貼ってもらったり顔にスプレーされたりして可愛がられている。ここを左に曲がってゆくと、旧国立競技場の跡地にいける。

 僕はここから少し歩いた千駄ヶ谷のあたりで村上春樹を見かけたことがある。時々テレビニュースなんかで見るいつものラフな格好だった。ネルシャツにジーンズにスニーカー。サングラスをかけていた。彼は確かこの辺りで小説家になる前にピーター・キャットという喫茶店を経営していた。その付近に暮らしてもいたはずだ。そして、神宮球場のスワローズ戦を見ていて小説家になる決意をし、小説家になった。僕とすれ違ってすぐ、その先にあるバスを待つ人の列に並んだ。白髪の綺麗な婦人のふたつ後ろだった。

 千駄ヶ谷小学校を過ぎて少しいくと左手にはハローキティのバンダナでテロリストのように顔半分を覆った少女がこっちをみている。DOLKの作品『KITTY RIOT』だ。東京で個展を開いたときに来日し描き残したものである。DOLKは僕の好きなストリートアーティストの一人だ。何年か前に持っていた写真集を片っ端から売って、彼の作品を買った。

 原宿に入ってしまうと後は、渋谷まで一気に歩いてしまう。

 そういえば、途中にあるステッカーがベタベタ貼られたベンチを撮っていたら、外国人のおっちゃんに声を掛けられたことがあった。名前は失念した。

 おっちゃんは写真家だと名乗った。それからイギリスのブリストル出身だともいった。写真やカメラ、アートにグラフィティ、渋谷という街なんかについての他愛もない話をひとしきりした。それからおっちゃんは何気なくバンクシー知ってるか、と尋ね、僕がファンだと答えると、嬉しそうに俺は友達なんだ、と言った。

 幾つかバンクシーについての話をしてくれた。嘘か本当かはわからない。ただ、僕に嘘をいう理由は見つからないし、嘘をついているようにもからかっている風にも見えなかった。ただ故郷の友達のファンだといってくれて嬉しい、という感じだった。

 バンクシーは世界でも指折りの有名なストリートアーティストの一人だ。みんなが彼の動向に注目している。彼が描けばニュースになる。少し前にはパレスチナで作品とメッセージを残した。彼についての情報はほとんど何も公開されていない。その正体を世界のメディアが何とか掴もうとやっきになっているが、経歴すら未だほとんどが不明なのである。バンクシーもまたブリストルの生まれである。

 宮下公園の辺りで右に折れ、タワーレコードの前を通り過ぎ、そのまま宇田川町へと向かう。

 マンハッタンレコードのあるこの界隈は昔からとにかくグラフィティが多い。壁という壁それから電話ボックス、道路標識や自動販売機、室外機など平べったいところにはどこにでも描いてやるんだ、という情熱が感じられる。上描きもしょっちゅうだ。

 立ちしょんべんレベルのものから作品と言えるものまでピンキリだ。それがまた面白い。もちろん、全てイリーガルだ。

 この辺りは渋谷の中でも特に好きな地区のひとつである。

 井の頭通りを横切って文化村、東急本店の横を円山町のホテル街へと入る。路地から路地へ気の向くままに足を運ぶ。カラスがラブホテルの看板から僕を見ている。VUENOSやasia、HARLEMやWOMBなんかのクラブ、それからO-EASTなどのライブハウスが大箱から小さいのまで幾つかある。大きなイベントやライブがあると、昼間から若者でごった返している。大資本系以外の国内外のフィルムを掛ける最近では貴重な映画館ユーロスペースもある。僕は時折ここに寄って、いまどんな映画が掛かっているか、これからの上映予定を知るためにチラシをもらってくる。

 少しいって右手、神泉とのちょうど中間あたりには崩れかかったまま在り続ける日本家屋がある。かつて料亭だったのらしい。このあたりで僕はタヌキを見たことがある。渋谷の平成ぽんぽこ。カメラを向けるより疾く消えてしまった。ここに暮らしているのかもしれない。

 百軒店商店街のストリップ劇場に掲げられた出演者の写真を横目に見つつ坂を下り、道玄坂を渡る。京王井の頭線を突き抜け反対側へと抜けるこの道はいい雰囲気で通るたびに撮ってしまう。何枚かは写真集で使った。改札を挟んだこの辺りはごちゃごちゃと居酒屋がひしめきあっていて、安くてうまい店が多い。「どぜう」なんて看板もある。僕はここらで呑むことが多い。

 さて、気付くと結構なフィルムを燃やしている。陽も傾きつつある。喉が渇いている—。

 

 20歳に東京に暮らし始めてから遊ぶといえば渋谷だった。宮下公園で缶ビールを呑んでセンター街をぶらぶらしてみたり、ABCマートではコンバースのオールスターを、HMVでは待ち合わせまでの時間を潰すために最新音楽を視聴してみたり、CDやレコードを買った。ドブ川にタバコや空き缶を放り込んだりした。

 クラブに行って夜通し酒を呑んで踊ってみたり、ライブを観にいって帰りに居酒屋で呑んだりした。大体は山家という老舗の居酒屋で、安くてうまい上に24時間営業という楽園みたいなところで、終電を逃した時はそこでだらだらやって与太話をした。少し金があって興が乗った時にはキャバクラに行ったりもした。ラーメンや餃子、分厚いハンバーグも食べた。インドやネパール料理を初めて食べた。女の子とデートしたりラブホテルに行ったりもした。排気ガスで曇った窓ガラスの喫茶店の2階の席で真剣な話をしたりもした。

 百軒店では怖そうなおっちゃんにからまれたり、許してもらったりした。忘年会で記憶を失うまで呑んで、ビルの非常階段で眠りこけていたこともあった。ぶらぶら撮影していたセンター街のど真ん中で、たむろしていた売人の外国人に囲まれてフィルムを抜かれたこともあった。

 いまはヒカリエになった場所には東急文化会館が建っていて入れ替わり立ち代り、年中封切り映画のたれ幕がぶら下がっていて、屋上にはプラネタリウムのドームが乗っていて、着陸したUFOみたいで愛嬌があった。渋谷にはハチ公がいる。ハチの銅像のもとで何度も待ち合わせをした。

 撮影するのも、自然にこの街であった。

 そのようにして僕は渋谷と付き合ってきた。

 

 これから渋谷は老朽化した駅前を再開発し一気に若返りをさせ、かつてそうであったという“大人の街に”先祖帰りさせるのらしい。

 なんともややこしい話である。