知ることの始まり

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「僕はチベットについて殆ど何も知らなかった。だけど、この顔の見えないポートレイトを見たことで、その土地に生きる人々の事を、またその政治的生活背景を想像するきっかけを持った。ニットのマスクで覆われたその肖像写真は、今まで僕の目に触れたチベットのそれではなかった。 

このシリーズに出会ったのは、もう何年も前の出来事だが、ポートレイト写真の奥深さを伝えてくれた写真的体験として、今なお鮮やかに僕の中に記憶されている。」

 

 一冊の写真集がある。タイトルは『beyond a mask』。著者はLIO。チベットの人々のポートレイト集である。

 最初に括弧で括った文章は僕がこの写真集に寄せたコメントだ。

 この写真集はCITYRAT press.(シティラット プレス)という写真専門の出版レーベルから出されたものだ。そして、この写真集の企画をしたのが僕なのである。理由は単純でコメントにもあるが、写真家として僕の感じた写真的体験を共にして欲しかったし、ただこの写真集をたくさんの人に見てもらいたかったからでもある。

 ページを捲ってみる。カラー刷りで1ページに一人づつ淡々と連なっていく。最初に飛び込んでくるのは顔をすっぽりと覆う赤と青と黄色に黒い文字でSAVE TIBETと編み込まれているビビットなカラーのニット帽だ。それに慣れてくると今度はそのシチュエーションを追い越すように次第に衣服や背景が前面に浮かび上がってきて、忽ち生活の有り様が流れ込んでくる。顔がマスクで覆われているから匿名のはずなのだが、そこに見出されるのは紛れのないアイデンティティ、抜き差しならぬ個人であるから不思議だ。もちろん誰かを特定できる性質のものではない。

 次に僕は彼らの表情を想像してしまう。それは見る者の内側から湧き上がってくる自然な欲求といってもいい。それから今度は感情を捉えようともする。見えぬから見ようとするのだ。ちぐはぐな感覚とある種の違和感を抱えながらも目を凝らすようにまた、気持ちを凝らそうとする感覚だ。

 ここにきてようやく気付くのだ。一体僕は何を見ようとしているのだろう、と。見ることと想像することは矛盾する。それは正面から撮影された壺の中身(中身はもとより、穴が空いていない可能性だってあるのだ)を掴もうとすることであり、架かっていない橋を渡ることなのだ。稚拙な表現になってしまったが、いってしまえばそんなことをしようとしているのだ。見ることと想像することは二手に別れた道であり、それは確かさと不確かさという断絶であり、終着点が異なる。並走はするが帰結しないのだ。決定的なアンビバレント。このポートレイトはその状態を自然に作り出す。

 これが僕のポートレイト写真の奥深さを伝えてくれた写真的体験である。

 

 最後に軽く背景となる概要をさらっておく。被写体となったのはチベットの人たちなのだが、撮影されたのはダラムサラである。ダラムサラというのはインド北部に位置するヒマーチャル・プラデーシュ州の都市の一角で、1959年、ダライ・ラマ14世のインド亡命にともなって樹立されたチベット亡命政府の中心的な場所である。民衆がこれ以上殺されないためにチベット本土から離れ亡命するという苦渋の決断をしたダライ・ラマ14世を追ってその当時ヒマラヤを越えた民衆はおよそ8万人といわれている。いま現在でも生命の危険にさらされながら亡命し、難民となる人々はなお増え続けている。

 何らかの理由で亡命できずチベット本土に残り、家族や親類、それから友人と生き別れになってしまった人々もたくさんいる。中国政府はいまでもチベット人に対する弾圧と支配を続けている。最近ではチベット仏教の僧侶の焼身自殺による抗議行動がショッキングに伝えられたりもした。

 世界中でこの問題を解決すべく様々な声が上がっているが、残念ながらいまだ解決を見ないでいる。ダラムサラではいまだに中国政府の影響が強く、チベット本土に暮らしている家族や親類への不安が残り、自らの顔を晒すことが出来ないこともある。

 この写真集に出てくる人々はすべてそういう事情を抱えたものたちなのである。

 

 このひとたちが自由の元でマスクを脱ぎ、カメラの前で笑ったり、恥ずかしそうにレンズを見たり、はにかんだり、真剣な眼差しを向けたり、照れ隠しで顔を手で覆ったりすることができる日が来ることを僕は望む。僕個人はチベット問題に関して詳しくもなければ、何らかの活動をするものではないが、いかなる理由や事情があろうとも自由に対する抑圧や規制に対してはその全てにおいて反対をするし、無条件に被抑圧者の側を支持する。そして僕はこの写真集がそんな日を少しでも早く訪れるきっかけのほんの小さいとっかかりとなることに期待してもいる。それはまず何よりも”知る"ということから始まるのである。幸運なことにこの写真集は僕のチベットを”知る始まり"であった。

 

 最後にダライ・ラマ14世の言葉を書いておこう。いつだったかどこかで見つけて気に入ってメモしたものだ。

 

  “愛と料理は、危険を顧みない奔放さで取り組むこと”

  Approach love and cooking with reckless abandon.

  Dalai Lama