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小鬼とところてん

ESSAY

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 二日酔いについて書く。二日酔いの真っ只中で書くのだからリアリティー含有率が高いはずだ。

 さて、まず頭がガンガンする。詩人の中原中也はこれを“千の天使がバスケットボールする”と見事に表現してみせたが、僕の場合は天使なんて可愛らしいのではなく5、6匹の小鬼である。そいつらが僕のシャレコウベのなかでドラを打ちまくっている。走り回っている。そして小踊っている。ワラワラしている。なんか楽しそうでもある。いやもう狂喜乱舞している。そんな具合だ。

 これに対して僕は節分さながらバファリンを小鬼たちに投げつけることによって対処している。僕の場合はこれでほとんどおさまる。だからいつでも豆まきができるようにバファリン80粒パックを常備している。さっき豆まきしたから、いずれおとなしくなってくれるだろう。

 それから、もうなんかだるい。しんどい。これは二日酔いのオーソドックスにして基礎となる症状である。

 ただマラソンをしたとか登山をしたとか徹夜したとかの翌日に出るだるさとは雰囲気がだいぶ違う。椅子にすわってばか話をしていただけなのにもっと劇的にだるい。なんだかぬるーいところてんに纏わり付かれて、それをまたずるずる引きずっている感じで不快極まりない。何かをしたからだるい、というのではないのである。混ぜ物なし、だるさ100%という感じだ。まんまなのである。

 もうこれはあれだ、アンコウ鍋だ。部位ごとに切り分けられ、長ネギなんかが添えられた味噌仕立てとかそんなんじゃなく、鍋にそのままの姿でびたーん、と出された感じなのである。丸ごとなんですね、そういうだるさなのである。

 このだるさに対しての決定的な対処法を僕はまだ確立していない。せいぜい頑張ってそばを胃に放り込むくらいのことである。ざるとかもりでつるっとさっぱり、というのではなく、あつい天ぷらそばや肉そばなんかの油っこいもののほうが二日酔いがはやくおさまる気がする。

 ちょっと調べてみると効果がある食べ物というのは結構あるようだ。梅干し、しじみ汁、大根おろし、たまご、にんにく、納豆、牡蠣などの日本の昔からの民間伝承的なのや、柿、トマト、ブロッコリー、カリフラワー、アロエ、アボカド、グレープフルーツなんかの野菜果実系。それからハチミツ、コーヒー、カレーまである。ここら辺になるともうよく分からない。さらにアメリカではベーコンやサラミ、フライドエッグ、ピザ、パンケーキなどもあるようだ。つまるところ何でもいいから腹にものをいれよ、ということだ。でも結構個人差があるのかもしれない。人によってはサンドイッチなんかのパン、あるいはパスタ方面、または白ごはんにごはんですよ、というシンプルな可能性もある。これはもうそれぞれ占星術とか四柱推命とかみたいに持って生まれた属性があるだろうから、二日酔いの度に探っていくより他ない。

 そういえばトム・クルーズ主演の『カクテル』という映画で、バーテンダーがレッドアイに生卵を二つくらいとタバスコとペッパーを入れて一気飲みするシーンがあった。その他聞いた話で医学生なんかはコンパで飲みすぎた翌日は、自分たちで点滴してブドウ糖を直接ぶち込むんだそうだ。これはなかなかの荒療治である。

 そして最後はやっぱり禁断の果実、迎酒である。これが効く。というか、楽。手っ取り早い。世界共通。国や目の色や肌の色は関係ないのだ。理屈などぶっとばせ。酒呑みはアホなのである。

 

 ミュージシャンや芸術家やクリエイターは酒が強いというイメージがあるけどそんなことはない。ただ、勤め人と違って翌日のスケジュールが比較的ゆるいというだけである。勤め人がそこらへんの事情から量を控えるのに対し、欲求に応えるまま呑めるだけのことなのだ。当然その代償として翌日はふとんの中で悶絶し格闘するのである。小鬼とところてんとたっぷりランデブーするはめになるのである。ついでに昨晩の記憶がすっ飛んでしまっているなんていうブラックアウト、枕元にはまん丸に口を開いて、頭に手を乗っけているかわいらしいハニワが転がっているけどこれは一体?…、といったドキドキのおまけまでついてくるのである。

 それから酒が好きな人は酒が強いというのも間違った認識だ。僕などは酒がそんなに強くないのに、酒好きなのだから大変である。下手の横好きなのである。それだから二日酔いとの付き合いも長いし、失態・醜態もだいぶある。

 学生の頃などは家の前の道路に派手に吐いたりした。実家はニュータウンと言われるような小綺麗な住宅街にある。翌朝、スズメがちゅんちゅんとそこにたくさん集合しているのを新聞を取りに出た母親が発見する。見っともないからさっさと起きて水撒きなさいと、眠りこける僕は怒られたものである。

 それから、スパイダーマンのマスクをかぶりフリチンになって踊ってみたりしたこともあるし、年の暮れ繁華街のビルの非常階段でTシャツ姿で冬眠しそうになったこともあった。絵に描いたような千鳥ステップを踏んだこともあるし、すっ転んで怪我したり、喧嘩したり、無一文になったり、プールに飛び込んだり、自転車をなくしたり、鼻水たらしながら泣いてみたり、「崖のうえのポニョ」を歌うと言い出し、勝手にライブ中のステージに上がろうとしたりした。ほとんどが後日、知人や友人に聞かされたものだ。その他、冷汗だらだらの話もあるがいまとなっては良き思い出である。そういうことにしている。一応そうしてる。無理やりしている。

 

 二日酔いは遥か昔、人類が酒という神秘の水を発見し陶酔を知ったその瞬間に同時にぽこんと生まれた。光と影、切り離すことのできない闇の部分である。都合良く快楽のみを享受することなんて事はできない道理である。でなければ人類は間違いなく肝臓をカチカチにいわせて滅んでいただろう。(その点、大麻はいいとこ取りである)闇といったって、幻覚があるわけじゃないし、鼻毛が芝生みたいに青々と生い茂る、耳がとんがってしまうとか、下半身が常にエレクトしているなんて奇天烈なことがあるわけではない。いつの時代の酒呑みもきっとやってきたように、持ちつ持たれつ僕もうまく付き合っていくよりしょうがない。

 いつの間にか小鬼はどこかに去ったようだ。祭りのあとのような寂寞、これもまた二日酔いの症状のひとつだ。

 酔いどれ詩人ブコウスキーは「二日酔いが俺の常態だ」と嘯く。

 さて、ビール呑んで天ぷらそば喰って少し眠ろうか。今夜も僕はきっと呑むのだ。