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少年の詩

ESSAY

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「俺達ァ健康優良不良少年だぜ」

 とは主人公の金田の言い放ったセリフだ。いわずとしれた近未来SF漫画の金字塔、大友克洋AKIRAである。

 間違いなく僕が最も繰り返し読んだマンガである。ストーリーや展開、場面やセリフなんかも結構覚えているが、何回読んでもやっぱり飽きない面白さがある。

 

 小学生から現在まで、多くはないけどその時々買ってきた。

 ちょっと挙げてみると、ドラゴンボールなんかの格闘冒険ものに始まり、スラムダンクとかのスポ魂、それからろくでなしブルースのような不良もの、ギャンブル系ではアカギや金と銀、ちょっとはみ出たところで松本大洋ガロ系漫画、ワンピース、最近ではちはやふるという少女漫画(ちょっと恥ずかしい)だったりである。普通の男のまったき王道であるようにおもう、最後の少女漫画を除けばだが。

 さて、そのどれももう売ったりあげたりして現在の書棚にはない。引越しを超えて付き合いのあったものもない。15年を超えて手元に置き続けてきたマンガは唯一AKIRAだけなのである。

 ところで「無人島にマンガを何か一作品だけ持っていくとしたら?」 

 なんていう定番の質問をされたら、僕は当然迷うことなく『こち亀』を選んでしまう。だって一冊に役に立ちそうにない情報量がぎゅうぎゅうに押し込めてあるから退屈しないぜ。だけど、気持ちの上ではやっぱりAKIRAだ。

 

 僕がAKIRAを購入したのはもう随分前のことだ。18歳か19歳の学生の頃である。漫画本では珍しい巨大な大型本で、一冊大体、千円から千二百円くらいする。装丁などは実に凝っていて派手派手しい。毒々しい。ケミケミしい。デカイから重い。まとめて買うのは当時の財政事情のなかでは厳しく、これを買ったら次の巻はバイト代が入ってからにしようと決め込んだのだが、結局一、二日のうちにすべて買ってしまった。こりゃ今月ずっと袋ラーメンだな、と覚悟するようだったのでよく憶えている。

 全体を把握するのが大変なほどのスケールの大きい生命体規模のシステムや、人間の禍々しいまでの欲望や感情の拠り所を的確に捉えた近未来像、未来そのものへの予感、またそれらを編み上げて進められる圧倒的カタストロフィーと選択可能な希望的進化と再生、それを支える緻密な作画や過激な描写、漫画的技法、そこら中に登場するごてごてした機械や乗り物、ドラッグ思考の攪拌幻想、サイバーパンク、忘れられない捨て鉢なまでの会話、ユニークで突飛なキャラクターの数々……。

 18、19歳の知識欲旺盛ではあるけど、あらゆることに経験と耐性のない僕には一度読み始めたらやめられない多様な中毒性があった。

 読み終えた後、本を放り出してゴロンと寝転がる。色々考えさせられる内容ではあったけど、徐々に輪郭を持って心に浮き上がってくるのは、単純なものであった。それは昨日テレビで見た鉄板のうえでジュウジュウ焼かれた分厚いステーキ、肉本来の旨味を堪能するため塩コショウだけのシンプルな味付けで…。

 違ったそうじゃない。袋ラーメンばっかり食べていたせいで思わず気持ちがそっちに引っ張られてしまった。

 話を戻そう。心に残るのは単純で、金田と鉄男の友情が泣けるぜ、というものだった。結局、僕の根本的な世界を把握する感覚は死ぬまで少年ジャンプから抜け出せないのである。ただそう的外れでもないように思うのだ。

 全体構造の芯となっているのは、システム、運命に抗って貫かれる金田と鉄男の少年性だ。その少年性とは正直さ、頑固さ、などのポジティブな面と欲望、嫉妬、挫折といったネガティブな面の両方があっけらかんと晒け出される溌剌として純粋な単純さからくるすべての少年が生まれながらにして持つ爽やかな善の来し方である。そうなのだ、これは少年ジャンプそのものなのである。世界がどんなに複雑で厄介なものになろうとも、正しいと感じる何かを真っ直ぐすべての物事に貫き通す、あるいは貫き通そうと奮闘する。仲間だった二人はあるきっかけから袂を別ってしまったが、根本にあるのはそんな原初的姿勢をまっとうする金田と鉄男のスパークする生の奏でる健康優良アナーキーな"少年の詩"なのである。

 

 ここまできて、読んだことのないひとは「?」がぽわんと浮かぶだろう。”あの〜、アキラって出てこないんですか?”と。

 説明するのが大変なので、気になった人は読んでみてください。面白いことは僕の15年が保証済みだ。

 そういえば「無人島に…」で真っ先に挙げたこち亀両さんも少年のままおっさんにまでなってしまった代表格のような人物だ。

 

2015.8.16記

傘がない

ESSAY

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 なんとはなし付けっ放しにしていたテレビでは、芸能人が地方に赴き、とりあえず市中をぶらぶらし、いやー下町、城下町って感じでいいですね、江戸つーか、時代を感じるっていうか、やっぱり日本は瓦屋根じゃないとダメだよね本来、などと街並みについて感想を述べてみたり、おもむるに目に付いた飯屋の魚と筆書されたような暖簾を潜り席についたのち、店内ぐるり見回し検分、とりあえず壁にぶら下げてある天狗の面を発見、店主に、鼻長いっすね〜、紅いし、つーかリアルだわー、これ、雰囲気あるな〜、本物って感じで、つーか本物の天狗ってどゆこと、などと感嘆し、ついで、すごいものなんですか? などと由来を尋ねてみたりしつつ本題に移行、何が美味いんですか? とか、何年くらいやってるんですか、みたいな事をトントン問うてみた果て、其々所望の料理を注文し食す、みたいな番組がやっていて、その店は海鮮を主としたどんぶりが得意、運ばれてきたそれはいくらやマグロ、雲丹、貝類などの種々様々のぴちぴち、海の幸、恵みがどんどんに載った海鮮丼であり、また加賀、金沢というお国柄、お好み焼きの青海苔の如く金粉が煌めき塗してあったりもし、それらを一口くちにするや驚嘆の声を発したり、おほおほ言うてみたりしつつ、美味さをリポートしていて、非常に羨ましかった。

 で俺も、飯でも食べようか、と思ったが先程から雨が降ってあり、家から出て行けぬ、のは傘が置いてないからで、仕様がない、が、腹は減っている、じゃ自分で拵えたらいいんじゃない、と考える人があるが、冷蔵庫のメイン棚には酒屋が試供品としてくれた菊正宗の180mlパック、野球帽を斜に被った少年の顔面のイラストが描いてある胡瓜の漬物パックが、15cmほどの距離を置いてぽつねんとそれぞれが佇んでいるばかり、その他はなく、扉裏の飲料、調味類を収納する棚には濃縮そばつゆ、チューブ生姜のみ、家中に米はない。それじゃ出前でも頼んだらどうか、と言う人がいる、今日は火曜日であるので、近所にある唯一の蕎麦屋は休暇していて、店員などはそれぞれ家族と団欒したり、パチンコに行ってみたり、二日酔で悶絶していたりしているはずで、蕎麦を茹でる事不可能である。

 がしかし、ピッザがあるではないかという事を思い出した俺は早速ボンジョルノ、新聞に挟まっていたメニューチラシを引っ張り出して眺めたのち、ここはやはり例によってシーフードのガンガンに載せてあるMサイズを注文することに決め携帯電話を片手、サイフを握りしめて絶望した。というのは昨晩の騒乱的酒宴によって失財、サイフには数枚の十円玉と何故かは知れぬ大量の一円玉が嵩んで膨らんでいるばかりであったからである。

 台風が近づいていた。

 俺は菊正宗180mlパックを呑みながら、トタン屋根を打ち付ける、ひどくなるばかりの雨音を聞き続けた。テレビではさきの芸能人が今度は土産物屋に乗り込み、かぶら寿し、購入していた。傘がない。

Photo Exhibition in Taiwan

NEWS

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gallery Main新進作家展

「内倉真一郎×横山隆平 Photo Exhibition in Taiwan」

 

2016年10月7日より台湾の關於綠光+marüteにて、gallery Mainの中澤有基がディレクションするgallery Main新進作家展企画「内倉真一郎×横山隆平 Photo Exhibition in Taiwan」を開催いたします。

 

本展示では「TOKYO,UNTITLED.」 から「酔っぱらったピアノ弾きのようなやりかたでシャッターを押せ」、数年に渡って製作、発表、更改を繰り返し纏められた都市とものども三部作「街区の壁の野晒しの、いずれ消えゆくグラフィティのような都市と光と静物のひどく短い歴史」、「果たして路上は、都市のネズミの書く詩のように続いてゆく」までの発表作品の中から数十点の写真をセレクトし展示致します。

 

ステートメント

カメラを手にしてからずっと東京という街で写真を撮ってきた。気が付けば十数年という時間が流れ、その間に幾つかの写真集が出来、幾十にもなる展示となった。

ざっと眺めてみる時、僕の捉えてきたそれら、そのおよそほとんどが、誰も眼を留める事のない、“路上の無名”としか呼びようのない雑景だが、しかしそこには、昼であれ夜であれ、陽光や街灯りの別なく光が、手に触れる事が出来る程の確かさで在った。

世界が如何に複雑になろうとも、社会が混迷を極めようとも、光が多ければ白に近づき、少なければ黒に似た。意味や意義など予め失われていた。テーマやコンセプトが変わっても僕の考える写真の本質、原点は、それを置いて他にない。

さて、僕は今日でも街を歩けば、そんな光の中、路上の無名の群像劇に嬉々として、カメラ片手、きりきり舞いしている──。

 

「内倉真一郎×横山隆平 Photo Exhibition in Taiwan」

・gallery:關於綠光+marüte

・日時:2016年10月7日(金)ー10月17(月)14:00~19:00

・住所:關於綠光+marüte (台中市中興一巷2號)

・Mail:gr2marute@gmail.com

・TEL:+886 4 2301 6717

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gallery Main

〒600-8059 

京都市下京区麩屋町通五条上ル下鱗形町543-2F

・TEL 075-344-1893

・HP http://www.gallerymain.com

・Mail info@gallerymain.com

オン・ザ・ドーロ。

ESSAY

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 僕はまたベラベラに酔ってしまう。

 そして梅雨も終わりかけのある夜、ゆっくり地面に倒れ込んでいった。

 繁華街を歩いていると、路上で寝ている人を見かけることがある。ダンボールにくるまれたレゲエのおじさんではなく、酔いつぶれてしまった人たちである。入学シーズンや、年末になると結構いるものだ。カバンを抱きかかえたり枕のようにしてみたり、それがまたとても気持ちよさそうなのである。そこそこ酒がのめ、酔い潰れるということが少なかった僕は若い頃そんなひとたちを少し軽蔑し白い眼でみていたように思う。

 だけど、いつごろからだったかはわからないが、おそらく自分も酔い潰れることが多くなって、寝てしまうとまではいかないまでも、電柱に寄りかかって暫く休んでみたり、路上に吐いたり、家に帰るの面倒だな、と思ってみたりとすることもあり、それは徐々に共感と同情の入り混じった不思議な感覚となって意識の深いところに静かに沈殿し堆積していたのかもしれない。酒の量と比例して増えていったそれらの行動と感情、膨らんだある種の仲間意識が加わった結果、いよいよ自己肯定的感情が生まれ、そこに行き着いたのだろう、とうとう憧れの眼差しへと変わったのである。

 また、おそらく僕はそこに「誰にどうみられてもいいではないか、眠いから寝るのだ、何が悪い!」と勝手に声高なそんな堂々としたマッチョな主張を想像し、いそいそと家へと帰る小心者の自分とを比べていたりもしたのだ。もしかしたら中島らも高田渡の酔いどれ伝説を耳にしてからかもしれない。あるいはかの有名なオン・ザ・ロードのディーン・モリアーティ(ニール・キャサディ)やサル・パラダイス(ジャック・ケルアック)のような放浪天使、根無し草の破天荒、世間から遠く離れたそんな暴力的なほどの奔放さに憧れていただけなのかもしれない。いつしか路上で眠ることは僕の中でむくむくと膨れ上がって物語的に形作られた自由の象徴となっていた。

 でも最近わかってきたのだけど、もちろんそんな自由の主張や高尚な考えなど何ひとつなく、単純にどうしようもなくアルコールがまわりまくっているだけなのだ。僕だって当然わかっている。

 

 僕が本格的に(?)酒を呑むようになったのは、20代の半ばの頃だった。打ち合わせで行った下北沢で、話が終わったあと、ついでだからと夏の陽が傾き始めた街を撮影してまわった。初めて撮影する街だった。

 スズナリの前の道路で、配達を急いでいたのだろうバイクがそのカーブを曲がる遠心力で、積荷のビールをふり落とした。その場に居合わせた僕は灼けるアスファルトに広がるビールの泡と飛散してきらきら光る瓶のガラスの欠片をしっかりフィルムに収めてから、片付けの手伝いをした。鼻腔にビールの香りが広がり、しばらく漂い残った。

 それから街を一回りし、またスズナリの前に戻ってきたとき、扉が開けられたままのバーから、顔を出した男がカメラを持つ僕にふいに声をかけてきた。

「写真撮ってくれよ」

僕はなんだか生意気なやつだなとは思ったが、撮ってやった。

「撮ったぞ」と立ち去ろうとする僕にそいつは「一杯のんでけよ」といった。僕はそのとき、財布や携帯などの邪魔な荷物をすべてバイクに放り込んでいて、まったくお金をもっていなかったから「おごりなら付き合うよ」と答えた。

「もちろんだ」とそいつはいった。

 そのようにして僕は呑み始め、結局そのままずるずるとふたりして何軒もはしご酒、へべれけ朝方家へと帰ったのである。

 翌週からは二日と間を空けずにそいつと下北沢で呑むようになった。当然のように朝までであった。ふたりともなにも食べずに酒だけを流し込んでいくタイプであった。映画、小説、写真、音楽、政治、女などについてその時々、思いつくまま、悪態つきつき語り合った。それがつまみのようなものだった。本当に若い頃というのは、そうやって酒が呑めるものだ。振り返ってみれば皆、恥ずかしさとともにそれぞれ覚えがあるだろう。

 時々、いつも決まって最後に寄るバーで皿うどんを食べた。それだけがいわば例外だった。

 長崎出身のおばちゃんが切り盛りしているそのバーは朝までやっていて、薄汚れた酔いどれどもの最後のとまり木、ひっそりとした静かでほっとする店だった。となりでソースをかけて食べている彼もまた長崎の生まれだった。僕は皿うどんのうまさも、ソースをかけることもその店で覚えた。

 僕らは若かったせいもあってとにかくアホみたいにそれが当然とでもいわんばかりに無茶苦茶な呑み方をしていた。となりの客にからむなんて当たり前、女とみれば手当たり次第に声をかけ、なぜかは覚えていないがほとんど全裸で呑んでいたこともあるし、雨のなかでどつきあいの喧嘩もした。消防署のシャッターに立ち小便をしながら消化活動だ、と喚き、ガンガン叩き騒いで怒られ逃げたり、なにが面白かったのか工事現場にある赤い三角パイロンをさらってきて椅子に座らせていたこともあった。

 いまになって思うと、その頃は酒が好きとかではなく、ただただその呑む格好、どこかで見聞きしたものが合わさって作り上げられた架空ののんだくれのダークヒーロー、スタイルを創り出し、その背中を二人して競うように追い続けていたといっていいのかもしれない。

 なんだかどうしようもない三文小説のようになってしまった。この頃の話は書き出すと長くなるのでこの辺にしておく(そいつは一冊だけ映画のノベライズを出版したことのある小説家、作家くずれみたいなやつで、その当時の僕らのことを短編として書いて誌面に発表した)。

 僕はとにかくそのようにして、酔っ払い呑むことを覚えたのだ。それでもどんなに酔おうが、何時頃にどうやっては覚えていなくても、いつもちゃんと家には帰っていた。

 

 つい先日のことだ。

 馴染みのバーを出て歩き出し、きっと近道だと考えてのことだろう、大きな通りから外れ、住宅街のなかを斜めに突っ切っていった。思いのほか酔いのまわっていたらしい僕はコインパーキングでいよいよへたり込み、ぱらぱらと降る雨粒が冷たくて気持ちがいいなと感じて寝転がり、意識を失っていくのをはっきりと認識しながらそのままゆっくり意識を失っていった。それは手に掴んだ細かな砂が指の間をさらさらと流れ落ちていくような感じで心地よい喪失感を伴うものだった。

 どれくらいの時間そのままでいたのかはわからないけど、気づいたときは、雨がかなり降っていて僕はびしょぬれになっていた。とにかくひどく寒く感じられた。帰ろう、とそれだけが強く思われた。

 

 果たして僕はそのようにして突然ストリートデビュー、あっけなく中途半端にひと知れず憧れの路上でねむるひとになった。おそらく観客はいないはずだ。その点においては少し寂しい気もする。繁華街なんかではなく、住宅街の駐車場で真夜中にひとが倒れていたらさすがに声をかけるか、警察に連絡くらいはするだろう。幾ら人と人の繋がりが希薄といわれる東京でもそれくらいのやさしさはあるはずだ。何より事件にでもなったら寝覚めが悪い。

 さて経験してしまえばなんのことはない、二度とごめんだ。もし天気のいい晴れた日で、ネオンまたたくオーディエンスの多い繁華街でなら、機会あればまたひっくり返ってみようか、と考えてもみるが、その発想の時点でなんだか違うし、つまるところ僕は本物のそれにはなれないのだ。憧れは憧れのままのほうがいいし、それはきっと永遠に手のとどかない高嶺の花にしておいたほうがいいのだ。

 

 僕はその日、友人に不意に誘われ、なんとなれば「勝手にしやがれ」というものすごく格好いい名前のバンドのライブにいった帰りだった。ライブが行われたのは下北沢であった。

 

2015.7.29記

PIS!PIS!!

NEWS

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2016年9月6日に行われたPISのゲリラ展示TOM and JERRY at shibuyaのイメージを落とし込んだペーパープリント作品。
実際に展示された写真を敢えてドットの大きい粗い印刷物のように仕上げ、その上にゲリラをイメージさせるカモフラージュ柄を重ねたデザイン。
コットンアートペーパーにシルクスクリーンと同様に顔料インクを使用したアーカイバルピグメントプリントを採用したことで、版画作品に近いクオリティの上質な仕上がりになっています。
エディション100、全シリアルナンバー入り。

 

「TOM and JERRY」

Main ED.

Price : 5,400yen

Size : 660×470mm.

Archival Pigment Print

Printed on high quality cotton art paper.

Numbered.

Edition 100

 

ONLINE STORE

Japanese

English

ワオンの咆哮。

ESSAY

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 最近、僕はしょっちゅうワオンッいわしている。
 といっても犬と暮らし始めて三ヶ月が経ち、芸は身を助けると昔から謂うし、僕の稼ぎだって文鳥の雄叫びくらいのものだし、はっきり言って豪華豪勢の食事は与えられぬ、ましてやフリーランスであるから尚のこと、週5日、もやしと竹輪、という事も考えられ、それら諸事情を鑑み、幾らかそういうの出来た方がいいんじゃない、みたいな感じの親心的ノリで、芸能を仕込んである最中、しかしなかなか上達せぬのは仕方がないとしても、上手に芸が成功した場合に食べてよいというルールの、かりかりになったお菓子を、事を成さぬのに、首をちょっと傾げた感じのかーいらしい貌でせがんで来、かーいらしいのだから仕方ないので、こちらもついついお菓子をあげてしまう己の弱さを認めるわけにはいかず、半ば八当たり気味、芸能はそっちのけでお菓子にばかり執着していてはあかぬ、と軽く小突いた、というのではなく、電子マネーWAONを使い始めたからである。

 さてこのWAONというのは、財布を出しての現金のやりとりの煩雑を省略できる非常に優れて便利なカードである上、勝手にポイントが貯まり、またその支払完了時に出るワオンッというサウンドがはっきりいっていい、好き、なんかこう、渋谷駅に主人を迎えにきて待っていたハチ、人波から現れた飼主である教授、互いを感知、じゃ帰ろうか、ワオンッ、みたいな軽快さ、ツーカー感があり、酒や干物を銭を払って買うているだけなのに非常に小気味いいのである。
 しかし考えてみるとこれは犬好きには頗る良いものの、人生において犬によい印象を抱いておらぬ人もいるわけで、例えば、幼少の頃、頭を撫でようとしたら、噛み付かれそうになったので逃げたら、猛烈においかけられ転んだとか、初めて行った恋人の実家のチワワに普通にシカトされた、哀しい、みたいな経験、想い出があった場合、何がワオンだよ、嫌な事思い出しちゃったじゃんか、呆け、ボラー、みたいな負の感情が勃興、著しく気分を害する可能性があり、実際このサウンドの音量は結構大きく高いキーなのだ、僕が支払いで使用した場合、三人くらい背後まで、ワオンッが炸裂するわけで、仮にその中に昨晩の痛飲で宿酔い、おまけに額には記憶にないたんこぶがあり、そこにカーテンから差し込んできた残暑の太陽光が照ってきて熱痛くてかなわん、みたいな寝起きで気分がボラボラしている犬嫌いのかつ粗暴が炸裂した感じの生き方している人があった場合、殴られるかもしれず、いっぱい人がある時には使用するのを控えよう、などと言う事を人々は考えたりしないのだろうか、と冷やしトロロ蕎麦を片手に宿酔い、レジに並んでいる俺は人々がワオンッを炸裂させる中、そう思った。

PIS!!!!

NEWS

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PIS(ピス)/Phorograph in the Street=フォトグラフ・イン・ザ・ストリート

ギャラリーや写真集ではない、新たな表現を目的としたゲリラ展示プロジェクト。

 

写真の本質は「見ること=見られること」である。

写真はもっと見られるべきだし、そして何より撮られるべきだ。

それは例えば人々が、街中でふと見つけた一輪の花を、カフェランチを、猫を、夕焼けを、或いは恋人の笑顔を撮るのと同じような仕方で。

フォトグラフ・イン・ザ・ストリート。

写真は閉ざされた空間から抜け出して、再び街へ──。

 

PIS / Photograph in the STREET

Guerrilla photography exhibition giving new expression not performed by gallery or a photo book.

 

the nature of photographs is “see-be seen”

Photograph should be seen more, and avove all sould be taken.

It’s like ways to take a picture of a flower which found in the street , the lunch in cafe , the cats , sunset, or lover's smile.

Photograph in the Street...

Photographs slip out of a closed space, and back agin a city.

 

OFFICIAL SITE https://pis.themedia.jp

 

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第一弾 トム&ジェリー 2016.9.6-

とある企画での展示を断られ、それぞれの作者の元に舞い戻ってきた、渋谷のネズミと宮崎の猫。

PISをスタートするには御誂え向きの写真だった。

二枚の写真は東京渋谷を舞台にトムとジェリーのようにそこら中を駆け回る──。

遭遇の際は是非、記念撮影を。

#PIS_TOMandJERRY

 

1st / TOM and JERRY

Shibuya Rattus and Miyazaki Cats, they were declined the exhibition in a certain plan, and came back their authors.

It’s most suitable photographs to start PIS.

two pieces of photographs are running about in the whole that place like Tom and Jerry on the stage of Tokyo Shibuya.

when you met them, take a memorial picture.